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2016 NPB-CSファイナル終了 [プロ野球]

■お詫び
 時節柄、プロ野球の話題であります。
 個人的な記録として書き残すことが主目的です。
 それゆえ、どうぞ遠慮なくスルーして下さい。
 お気遣いなきよう、よろしくお願いいたします。

          ***

20161016-00010023-fullcount-000-7-view.jpg
(Full-Count の掲載記事より転載)

ついに終わってしまった。
しかし変に勢いづいて勝ってしまい、まかり間違って3年連続日本一なんて
おかしなことにならなくて、それだけは良かったと思う。

やっぱりぼくは、今のままのCSのシステムには大反対である。
消化試合を無くしたい、興行的にも何とか成功に導きたいというのは分かるが、
1年間戦ったことの重大性をないがしろにしているとしか思えない。
たった数試合だ、2位・3位のチームが1位だったチームに勝つことも十分にある。
しかしだからと言って、それで日本シリーズ進出なんて、そんなのアリだろうか?
でも、今年はセもパもそうならずに済んだ。少しホッとした。

さて、今日のゲーム。
初回に4点取ったものの、終わってみれば、結局スミ4。
最初だけは花火が打ち上がったが、5安打で勝てるような試合ではなかった。
はじめは景気良かったが、その後はまったくの尻すぼみ。
今シーズンの戦いぶりをギュッと凝縮して、この1試合にまとめました・・・
まるでそう言わんばかりのゲームだったような気がした。

いくつかポイントがあったと思うが、一番は逆転された直後の5回表の攻撃。
2死1塁に四球の内川を置いて、長谷川がレフトフェンス直撃の2塁打を放つ。
3塁コーチ飯田は内川に本塁突入を指示したが、5m以上前で完全なアウト。
その裏に決定的な2点を追加され、以後は完全に気勢を削がれた。
確かに2死だからというのはあったが、5回、たった1点のビハインドという展開。
そして次打者は、初回の3ランで乗って来た松田という場面だ。
走者が柳田や本多というのならまだしも、内川になぜあんな無理をさせるのか?
今シーズン、飯田3塁コーチの判断ミスで一体何点を棒に振ったのだろう?
このコーチに託し続ける意味もよく分からない。

試合終了後、工藤監督は言ったそうだ。
「ぼくの力不足が一番の敗因」
まさにその通りだと思う。今日の試合など、まさに典型的ではなかっただろうか?
栗山監督の勝負にかける意気込み(執念と言えるかもしれない投手リレーなど)
はテレビの画面からもヒシヒシと伝わって来たが、今日の工藤監督にはほとんど
それは感じられなかった。そういう意味では極めて残念に思った。

それにしても、ラクな味を覚えるとこうも駄目になってしまうのだろうか。
今シーズンのホークスの敗因は、工藤監督の力不足と選手への複数年契約の
失敗に尽きるといっても過言ではないと感じる。
複数年契約を結んでほぼ額面通りに働いたのは、内川とサファテぐらいのもの。
まあまあだったのがバンデンと中田?
松坂を筆頭に摂津、五十嵐、長谷川、本多、松田、細川、と実にお寒い限りだ。

ともあれ、2016年シーズンが終わった。
この時期まで応援させてもらえて、本当にラッキーだったと思う。
来シーズン開幕までの半年間、何をして過ごそうか。(笑)

タグ:CS 終了
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優勝おめでとう、日本ハムファイターズ! [プロ野球]

■お詫び
 時節柄、プロ野球の話題であります。
 個人的な記録として書き残すことが主目的です。
 それゆえ、スルーしていただいてもまったく問題ありません。
 どうかお気遣いなきようお願いいたします。

          ***

20160928-00000101-dal-000-5-view.jpg
(写真はデイリースポーツより転載)

素晴らしい優勝だったと思う。
大谷の二刀流をナインが受け入れ、それを推進力にした。
こんなこと、普通だったらとてもできないと思う。
だけど、ファイターズは苦もなくやってみせた。
ここまでの道のりは、きっと平坦ではなかったはずだ。
しかし形にした。結果を残した。これは凄いことだ。

我が愛すべきホークスだって、ファイターズに負けないぐらいに頑張った。
ファイターズの優勝が決まった今日現在、ホークスの戦績は82勝53敗。
80勝超えで貯金も29。普通なら優勝ラインの勝率6割を軽く超えているのに。
でも相手が悪かった、ファイターズが並外れて素晴らし過ぎた。
こんな戦いをされては、さすがのホークスも為す術がない。

ファイターズ、そしてファイターズファンの皆さん、
優勝、誠におめでとうございます!!

パリーグ2016年シーズンは、ファイターズのためにあったも同然でした。
リーグ内の全球団に勝ち越したのは、真にリーグチャンピオンの証です。
CSでは当然ながらホークスを応援しますが、ファイターズが実力を発揮すれば
セリーグの覇者と戦うのは恐らくホークスではないでしょう。
そうなって欲しくはありませんが、ファイターズが力を出し切ることを望みます。
最後にもう一度。

北海道日本ハムファイターズ、そしてファイターズファンの皆さん、
優勝、本当におめでとうございます!!

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実りの秋はすぐそこ [プロ野球]

めっきり秋らしくなって参りましたね。
皆さま、如何お過ごしでしょうか。

田の稲穂たちは、既に十二分に頭を垂れておりますよ。
恐らく、稲刈り目前なのではないでしょうか。
早いですねえ。ちょっと前に田植えだったと思ったら、もうこんな風です。
春が来て夏が来て、秋が来て冬が来て。
1年はあっという間ですね。

160910_181323rr.jpg
(9月10日 自宅より約2kmの地点にて、ジョギング中の足休めに撮影)


さて昨夜、広島東洋カープがセ・リーグ優勝を決めましたね。
カープ関係者の皆さま、そしてこの日を待ちに待っていたカープファンの皆さま、
誠に誠に、誠におめでとうございます♪

19030098yoko_rr.jpg
(写真はベースボール・タイムズ社より転載)

広島カープは実にいいチームですよね。
昔から一本スジが通っていると言うか、ブレるそぶりがまったくありません。
だからと言うわけでもありませんが、25年ぶりの優勝と聞いて「え?そんなに??」
と思いました。

25年前というと、津田が急にいなくなった年(脳腫瘍で戦線離脱、その後死去)。
山崎隆造選手会長が「何としても優勝して津田をV旅行に連れて行くぞ!」と全員に
ゲキを飛ばし、多くの選手が涙ながらに奮起して優勝したのは有名な話ですよね。

昨年、広島球場に行く機会があり、たまたま津田の記念プレートを見ました。
プレートは、ダッグアウトと投球練習場のちょうど中間あたりに貼ってありました。
投手陣はおまじない代わりに今でもこのプレートを手で触って戦場(フィールド)へ
出陣するようで、プレートの下側半分が少しテカテカになってました。
記念にぼくもスリスリして来ました。(笑) 写真では分かりにくいかなあ?

⑥津田恒美プレートr.jpg
(津田恒美プレート 広島球場内にて、2015年8月28日に撮影)

⑦マンホールのふたもカープr.jpg
(球場近くではマンホールのふたもカープ坊や 2015年8月28日に撮影)

ところで、スポニチアネックスの記事に黒田投手のコメントが載ってました。
リンクを貼ろうと思ったのですが、リンク切れになるのが怖い。
というわけで、せっかくなので全文を貼り付けたいと思います。
スポニチさん、どうか大目に見て下さい。

-----------------------(転載ここから)------------------------

 夢のようで、出来過ぎかなという感じだ。メジャーリーグに挑戦した2008年。
覚悟を持って海を渡った時点で、カープに復帰する野球人生は想像できなかった。
ましてや、念願だったリーグ優勝を達成できるとは。涙がこぼれた。こみ上げてくる
ものがあった。

 いろいろ悩みながらも、もう1年やると決めて、まさかこういう結末が待っている
とは思っていなかった。41歳まで野球を続けてよかった。監督、チームメート、
そして応援していただいたファンの方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

 復帰1年目の昨季。結果は出なかったが、意識の高い選手が多いと感じていた。
驚きだった。今季の独走は、そんな若い選手たちが心技体で力を付け、チームを
引っ張ってくれた成果だろう。自分以外の投手の試合を見ていると、純粋にカープ
は強いと感じる。一緒にプレーしていると、一体感を肌で感じる。

 具体的に言うと、その試合、その一瞬に全力を尽くす姿勢。それが若手から
伝わってくる。それこそが、新井と僕の目指してきた野球だ。特に野手は、39歳の
必死な姿勢に感化されたと思う。差し出がましいが、僕たちが同じ野球観を持って
いたから、チームとしてまとまることができたのかもしれない。

 チームは基本同じ方向を向かなければならない。だが以前は残念ながら投手と
野手には溝があった。空気を変えたかった。大事なのは助け合う気持ち。互いを
リスペクトし言動や態度には注意を払う。投手、野手最年長の僕たちが、タッグを
組んでそれを実行してきた。今は溝がなくなったと感じる。

 今春オープン戦。二遊間を守るキク(菊池)と広輔(田中)が頻繁にマウンドへ
行く姿を見て「俺の時にも来てくれよ」と伝えた。「どんな状況でもいい。今だと
思ったら来てくれ」と。そうすると、投手が醸し出す雰囲気や試合の流れなどを読み、
チームのことを考えて動くようになる。彼らには自立してほしかった。以来、凄く声
を掛けてくれるようになった。感謝している。そういうささいなことが、チーム力に
なると信じる。

 07年までの苦しかった時代。新井と僕は何かを変えたかった。でも、力が及ば
なかった。お互い、チームを離れ、厳しい環境で生き抜いた。出ていった者が偉そう
には言えないが、外を見たからこそ学び、経験できたこともある。同時期にカープに
戻ったが、考え方はブレていない。僕たちの野球観は間違っていなかった。この優勝
でやっと証明できる。自己満足かもしれないが、今はそういう気持ちだ。

 この2年間、自分の投球には歯がゆさを感じてきた。先発ローテーションを任され
る以上、責任を全うしたいと思うが、気持ちと体が一致しないことが少なくない。
だが、どんなに苦しくても、結果を残さなければいけない。クライマックスシリーズ、
そして日本シリーズへ向け、持っている力の全てを出し切りたい。チームが勝ち、
ファンの人たちが笑顔になるように――。 (広島東洋カープ投手)

-----------------------(転載ここまで)------------------------

黒田は今年限りなのかなあ?
もう1年ぐらいコーチ兼任で残ったらどうなのかなあ?
昨日、タマスタ筑後(2軍戦)で投げた松坂とはエライ違いですねえ。

松坂、3回を投げて6四球1死球。オリックス2軍のお情けに救われて自責点はゼロ。
しかし内容的には、球威・制球ともに2軍でも通用しないレベルでした(ネット観戦)。
極めつけは3回表のオリックス2軍の攻撃、結果的には1死満塁から1塁ゴロで3→2→1
の併殺でチェンジだったのですが、松坂が3アウト目の1塁ベースカバーに入る時に
右股関節を痛めたようで、右足をかばいながらベンチに戻り、そのまま交代でした。
マウンドから1塁までのダッシュぐらいで股関節を痛めるようじゃなあ・・・。

松坂クン、晩節を汚すのもいい加減にし給え。
と言うか、黒田のツメの垢でも煎じて飲んだらどうなの?
あ~あ、最後はまったく実りのない話になってしまった。。(涙)

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2016 終戦記念日 [その他]

今日は終戦記念日。
もう71回目になるんだそうですね。
ウチのお義母さんは91歳だから、終戦の時は20歳だったんだ。
・・・なんてね、何故かお義母さんが脳裏に浮かびました。
人間って、時々、不思議なこと(説明できないこと)をするよね。(笑)

さて、今年の終戦記念日は月曜でありまして、普通なら出勤なんですが、
今年は何だか勤労意欲が湧かずサボってしまいました。
正午の黙祷の時間、家の中に居たのですがバタバタしておりまして、
その時がいつ来たのか分からないまま過ぎておりました。

終戦記念日は、当地ではお盆の最終日でもあります。
そして、いつもなら高校野球が真っ盛り。
終戦記念日は、送り火と高校野球の3点セットが例年のイメージです。
しかし今年はそれに、五輪というビッグイベントが相乗りしています。
五輪の戦いと終戦記念日・・・ナショナリズムが激突しますね。(笑)
で、どういうわけか、また、ある言葉が頭に浮かびました。

大和魂―
やっぱり五輪の戦いがそれを連想させたのでしょうか?
大和魂―
昔、藤猛という米国籍の日系人ボクサーがいましたね。
「岡山のばあちゃん、見てますか? 大和魂、ボク頑張ったよ」
しかし違うなあ、これじゃないなあ。(笑)

大和魂―
体操の内村さん、重量挙げの三宅さん。
柔道の井上監督にも本当に感動しました。
もちろん、錦織さんや競泳をはじめ多くの選手の方々にも。
メダルの色や数は異なりますが、そんなことは問題ではありません。
残念ながらメダルには届かなかったけれど、ぼくたちの代表として
日の丸を背負って戦ってくれた多くの選手の皆さん、本当に本当に、
本当に頭が下がる思いでいっぱいです。

そんな中、今日行われた卓球女子団体の準決勝。
我が愛すべき日本チームは、ドイツチームに2-3で敗れました。
この試合、ぼくはLIVEで観ていました。
まさに実力は伯仲。勝敗は時の運だったように感じました。
勝敗が決した後、応援団に向けた挨拶が下の写真です。

G20160815013172610_view.jpg
(スポニチアネックスより転載。左から伊藤、福原、石川の各選手)

写真は三者三様の表情を見事に捉えています。
涙に暮れる伊藤選手はまだ15歳です。
泣きたい気持ちは伊藤さんの10倍以上だったでしょう、福原選手。
そして茫然自失の石川選手。

「ダブルスも個人も落とした。負けの責任はすべて私にある」
そんなこと言わないでくれ、愛ちゃん!
キミは精一杯頑張ったよ。みんな、ちゃんと観ていたよ!!
正々堂々、胸を張って帰って来て欲しい。
キミにはその権利があるよ!!

今年の終戦記念日は、オリンピック色に染まってしまいました。
でも、それでいいんじゃないでしょうか。
平和な時代だからこそ、感動的な大和魂の発露に接する。
今年の終戦記念日はスポーツに感動した平和記念日でした。

*****

(追記 2016/08/17 2:00)
やったー!
やっぱり最後は天が味方してくれたみたいです!!
こんな時間まで起きて応援した甲斐があった。
女子卓球チーム、銅メダル本当におめでとう♪
9.jpg
(毎日新聞より転載)

*****

(さらに追記 2016/08/17 23:01)
この3枚の写真、時系列に並んでいます。
それにしても、何と象徴的なんでしょうか。
『銅』って、バラしたら『金』と『同じ』・・・
いやあ、凄いことに気がつくなあ。確かにその通りだ!
G20160817013184440_view.jpg
(スポニチアネックスより転載)
タグ:終戦 8月15日

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30年 [昔話]

ある出来事が起こって、昨日でちょうど30年が経ちました。
30年・・・おお、もうそんなになるのか!とは思うものの、
同時にそれなりに長い日々であったような、そんな気もします。

月日というものは、普段は特に大きな変化もなく過ぎて行くものだから、
目に見えない埃がゆっくりと降り積もって行くように、あまり意識なく時が流れ、
そんな風にして30年の月日が通り過ぎたのでしょうか。

あるいはまた、この30年の中には劇的なイベントもいくつかはあったから、
そこで気分も一新、全部とは言わないまでも部分的には確実にリセットされ、
再起動に気持ちを集中するなどしてターニングポイントを乗り越えている内に
昨日を迎えたのでしょうか。

IMGP0023r.JPG
(やっぱり和菓子、おふくろも喜んでるはず。笑 2月11日撮影)

この30年、いったい何をして来たのかなあ?
30年前、長男Yは1歳半でした。長女Tが生まれたのは翌々年です。
当時はまだ団地に住んでいたので、仏壇は団地サイズを買いました。
それからややあって、何を思ったのか建売住宅を見に行って衝動買い。
それが今の家です。だからもうすぐ、この家も築30年を迎えます。

家を買ってほぼ10年後、阪神淡路大震災の翌年に転勤辞令。
花のお江戸に6年半。前半の約4年は銀座、後半は品川でした。
この1回目の単身赴任生活は結構楽しかった記憶があります。
アメリカ同時多発テロ(9.11)の翌年に福岡に戻ったのですが、
その直前のお盆に空き巣に入られ、ビックリしました・・・

うーむ、なんて中身のない記憶の羅列なのでしょう。
キッチリ2週間に一度、同僚たちに「伝書鳩」とまで揶揄された帰省を
繰り返していた割には、家庭や子供たちの記憶は数えるほどです。
記憶の多くは、仕事やそれに付帯することが圧倒的。
嬉しさ半分、しかし寂しさも半分・・・いやそれ以上かもしれません。

こんなことを書き続けていても、何だか気が滅入るばかりです。
自分のブログに記事を書いて気が滅入るなんて!
それも超久しぶりの更新だというのに!!
何をやっているのでしょうか、我ながらアホすぎるなあ。


今日の福岡は青空が拡がり、穏やかな一日でした。
このところ寒い日が続いておりまして、そうでなくても生来の怠け癖が
顔を出し、まったく走れておりませんでした。
・・・そうだ、今日は走ろう!

というわけで、今日は今年になって初めてのランニング。
できるだけ長い時間走ることを主目的に、結果的には約90分12kmを
ゆっくり流して走ることができました。
走り始めは思ったよりもきつくて、最初は30分を目標にしたのですが、
走ってる内に足が勝手に動いてくれ、結局90分も走れました。

20分もしない内に汗が吹き出ました。久しぶりに大量の汗でした。
やっぱりランニングはいいなあ。
アタマの中はキレイさっぱり空っぽです。
気分はもちろん、すこぶる爽快!
健康に心より感謝!!
タグ:30年

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2015 終戦記念日 [その他]

お盆、8月15日、そして終戦記念日。
終戦の詔勅、俗に言う玉音放送が流れたのが昭和20年(1945年)8月15日の正午。
恐らくそれを意識してのことでしょう、日本武道館で行われる全国戦没者追悼式では
例年8月15日の正午に1分間の黙祷が捧げられています。
今年は何を思ったのか、私も黙祷を捧げたくなり、1分間、静かに頭を垂れました。

これまでこの黙祷を知るのは、NHKの夏の高校野球中継を観ていたからであって、
放送の中で必ず黙祷の場面が映し出されるからであり、決して全国戦没者追悼式を
意識してのことではありませんでした。
しかし今年に限っては高校野球はそっちのけで、正午のNHKニュース枠でやっていた
追悼式そのものに目が行きました。

ところが、地上波NHKの追悼式中継はほんのサワリだけで終わってしまったため、
慌ててBS-NHKに切り替えてその後の中継を観ました。
が、それさえも、安倍総理の式辞を前にして中継終了となってしまう有様です。
直後によほど重要な番組が控えていたのなら分かりますが、その後に放送されたのは
どうでもいいようないくつかの番宣などが約25分、そしてBSニュースでした。
唯一の強制有料放送局たるNHKの資質が疑われる気がしました。

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(8.6 広島原爆の日、全員が背番号86で黙祷するカープの選手たち。毎日新聞より転載)

1945年の終戦から70年。
終戦記念日を前にした昨14日、安倍総理による内閣総理大臣談話が公表されました。
戦後70年の区切りの年に談話を発表する意義がないとは申しませんが、正直に言えば、
なぜ談話を出さなければならないのか、私には明確なその理由が分かりません。
50年目(村山)、60年目(小泉)と前例があるから?
出さないと、逃げたと思われるから??

私は密かに心配していました。
直前の内閣支持率低下の報道により、「お詫び」を入れるだの「侵略」を認めるだの、
当初の予定にはなかったであろう不穏な雰囲気が流れ始めたからです。
しかしフタを開ければ、ほとんどそれは杞憂でした。

約23分間の談話
安倍さんはどこぞの某マスコミとは違い、我が国の総理大臣として終始冷静で、
堂々としていて、そして聡明でした。

下記に過去の談話の公式リンクを貼りつけます。
前回の2つの談話の内容がどうだったのか、読み比べれば一目瞭然です。
村山談話(平成6年8月31日)
小泉談話(平成17年8月15日)
安倍談話(平成27年8月14日)

年齢を重ねるに従い、終戦記念日への思いは深まる一方です。
そして今年の終戦記念日は、これまでとは少し違う「何か」を感じることが出来た
ように思います。
この平和な社会に感謝し、この先も戦争のない秩序の維持へ向け、個人で出来る
ことは何かを考えていきたいと思います。
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7月1日 午前8時59分60秒 [その他]

今日7月1日、午前8時59分59秒の1秒後に「8時59分60秒」(うるう秒)が挿入され、
本日は通常よりも1秒長い一日となりました。トクしたねっ♪
ニュースで大々的に報じられていたので、ご存知の方も多いと思います。
今のところ大きなシステム障害は発生していない(小さな障害はポツポツ?)
ようなので、まずは良かったなと思います。

9時前、NTTの時報サービス(117)を確認しました。
ただいまより8時59分50秒をお知らせします・・・
ピッ①ピッ②ピッ③ピッ④ピッ⑤ピッ⑥プッ⑦プッ⑧プッ⑨ポーン⑩
41秒・42秒・43秒・44秒・45秒・46秒・47秒・48秒・49秒・50秒

ただいまより9時ちょうどをお知らせします・・・
ピッ①ピッ②ピッ③ピッ④ピッ⑤ピッ⑥ピッ⑦プッ⑧プッ⑨プッ⑩ポーン⑪
51秒・52秒・53秒・54秒・55秒・56秒・57秒・58秒・59秒・60秒・9時00秒

おお、確かに~!!
8時59分20秒ぐらいからドキドキしながら指折り数える練習などをしまして、
来たるべき59分50秒に備えましたよ。
1秒挿入されたの、見事に実感できたなあ。こんなの初めて。(笑)
しかし、うるう秒の挿入は深刻なシステム障害を引き起こす危険性があるため
廃止が検討されているとのことです。危ないからもうやめようよ、と。
詳しいことはこちらとか、こちらとか。


さて、今日から全国的に7月なんだそうですね。
12ヶ月の内の6ヶ月が終わったわけだから、2015年も半分が終わったんですね。
うーむ、本当なのか?信じられない。どう考えても早い、早過ぎるよ。
早過ぎて時間もない上に相変わらず不調と来てるから、どうしようもないよなァ。
6月と7月の間にうるう月の挿入でも検討して欲しいものです。(←こらこら笑)

7月と言えば・・・
福博(福岡と博多を総称して地元ではこう言います、2つの地区は明確に異なります)
の街は山笠一色になります。
下の写真は6月19日に撮影した、まだ工事中の博多駅の十番山笠。
今日、1日からは垂れ幕は除去され、飾り山が一般公開されているはずです。
ぼくはまだ見てません。明日見ようっと。

ところで、昨年の博多駅は十一番山笠でした。
今年、なぜ「十番」なのか?・・・ということを過去記事で研究しました。
あの頃は随分ヒマだったんだなあ。(笑) ※コメント欄を参照
http://song4u.blog.so-net.ne.jp/2011-06-25#comments

150619_163216r.jpg

7月は全国各地で祇園祭が行われるのでしょうね。
そう言えば小倉の祇園太鼓も、打ち初め式は今日じゃなかったでしょうか?
博多祇園山笠。
山笠のあるけん博多たい!なんてCMがあったなァ。何のCMだっけ?^^;
ちなみに山笠は「やまかさ」です、濁りません。
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おふくろの誕生日 [その他]

今日6月14日は、おふくろの誕生日。
昭和5年(1930年)生まれだったから、生きていれば満85歳だったんだなァ。
今のご時世、85歳なんて、まだまだ元気なおっかさんも多いのにねえ。
おふくろ、誕生日おめでとう!(…って、故人の誕生日って意味あるのか?!^^;)

今日は一葉の写真を掲載してみようと思います。
昨日、全然違うことをしていて、たまたま古いアルバムが目に入りました。
パラパラとめくっていたら、昔懐かしい写真に思わず手が止まった。
こんなタイミングでご対面するなんて、これも何かの縁かもしれないと思いました。
まったく意図していないのに、本当に面白いことが起こるなあと思いました。

随分古くて、すごくちっちゃな白黒写真です。
古いアルバムには色々なサイズの写真が混在していますが、その中でも
これは最も小さい部類のものだと思います。30切ってヤツかなあ?
昭和29年生まれのぼくが3歳ぐらいの時のスナップだと思うので、
恐らくは昭和32年(1957年)前後のもの、60年近く前の代物だと思います。

おふくろとぼくです。
おふくろには掲載許可を取っておりませんので、一応イメージは残しつつも
本人の肖像権に配慮して(笑)、若干画像を加工させてもらいました。
もしも昭和32年ならば、おふくろは27歳ぐらいということになります。
うーむ、27歳のおふくろかァ。イメージ狂うなあ。(爆)


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小さい頃のぼくは、おふくろにベッタリだったそうです。
中学生や高校生の頃、正月や冠婚葬祭などで親戚が集まったりすると、
たびたび冷やかされておりました。
この写真もそうかもしれません、ぼくの左手は、しっかりとおふくろの着物を
握りしめているような気がします。見えないところで。(笑)

昭和30年代の前半と言えば、映画『三丁目の夕日』前夜の頃でしょうか。
母はオーソドックスに和服で割烹着スタイル。そして左手には買い物かご。
時代考証的にはまさに典型的、絵に描いたようなひとコマのようにも感じます。
とは言え、ぼくの記憶には和装のおふくろはあまり登場しないけどなあ。

良く分かりませんが、これが普通の日常だったとは思えません。
折角こんなカッコしてるから写真でも撮ろう、というのもあったと思います。
だけどそれにしても、昔はこんな風情のある装いの日常が、そんなに特別なこと
ではなく結構そこここにあった、ということかもしれませんね。
何だか余裕だよなァ。気分的に、すご~く。

ところで、そもそも撮影場所はどこなんだろう?
おぼろげな記憶から推測されることは、恐らく福岡に引っ越す前、
まだ佐賀にいた頃なんじゃないかという気がしますが、もちろん何の確証も
ありません。永遠の謎です。聞いとけば良かったなあ。

ま、何はともあれ。
今日は大好きだった和菓子で、誕生日のお祝い(お供え)をしようと思います。
「そんなことしなくていい」という声が聞こえて来そうですが。
糖分や炭水化物を気にしなくていいから気が楽だねえ、おふくろさま!

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2015 母の日 [暮らし]

いつからだろう、カミさんは自分のことを「おかあさん」と言い
ぼくも知らず知らず、自分を「おとうさん」と言っていたりする。
いかに子供たち中心の生活になっていたかが良く分かる気がします。
今日はそんなおかあさんたちの存在に、改めてスポットを当てる日・・・

「母の日」

ぼくは常々思っています。
母親って、父親の10倍はお得な感じがするなあ、と。
ただ、20倍大変かもしれないなあ、と。
父親は、どうあがいても母親には勝てません。
いや、勝ち負けの問題じゃないんだけどね。(笑)

朝、カミさんの携帯が何回か鳴っていたようでした。
きっと娘からの「母の日おめでとう♪」メールに違いない?
息子がそんなメールを送ったなんて話は聞いたことがありませんからね。
1年に1回の母の日なんだから、メールのひとつぐらい入れろよな、Y彦!
なんてね。ま、いいか、そんなことは。

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(れんげのじゅうたん。2015年5月2日撮影)

上の写真は、先週のウォーキング中に撮ったものです。
れんげは稲作の田んぼに植えられているようです。
今日、同じところを通ったら、既に鋤かれていて跡形もありませんでした。
着々と田植えの準備が始まっている、ということでしょうか。
1年って、本当にあっという間ですねえ。

下の写真は、今日のウォーキング中に撮りました。
里山近くを徘徊していると、相変わらず色々な鳥のさえずりが聞こえますが、
草花も負けず劣らず赤、紫、黄と一気呵成に咲き始めていますね。
アザミを撮ったつもりが、ナナホシテントウ君のおまけ付きでした。(笑)

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(ウォーキング中のひと休み。アザミの花。2015年5月10日撮影)

さて、最後は母の日記念の一品。
とろろ蕎麦に、電子レンジでチン!した温玉を乗せてみました。
題して、とろろ蕎麦温玉のせ(そのまんまやん!笑)
こういうのが美味しい季節になりましたね。

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今までで一番辛かった告別式 [暮らし]

ぼくの有能なブレインである I君の奥さま、A子さんが4月3日に亡くなりました。
昨日4日がお通夜、そして今日5日は告別式でした。
終日どんよりとした天候の中、列席者は見覚えのある顔でいっぱいでした。

2年前の3月末に見つかった膵臓ガン。
開腹手術をしたものの、全部位を切除できずに骨転移となってしまいました。
昨年秋口からは抗がん治療も中止し、どちらかと言えば緩和ケアに比重が置かれました。
4時間おきに飲む、痛み止めをはじめとする介助は本当に辛かったことと思います。
良く頑張ったね I君、そしてA子さん。

I君は51歳、A子さんはまだ49歳でした。
2人の娘さんは去年社会人になられた長女さんと、2日に大学生になられたばかりの次女さん。
A子さんとしては、まだまだ見届けたいことがたくさんあったハズですよね。
無念も無念。返す返すも後ろ髪が引かれるばかりであったことでしょう。
しかし、喪主挨拶の中で I君が教えてくれました。
病気が発覚した2年前、当時47歳の彼女は I君にこう言ったそうです。

「思い残すことはありません。幸せな人生でした、ありがとう」

平均寿命が80にもなろうかというこのご時世、とても50前の夫婦の会話とは思えません。
ぼくの涙腺は、不覚にもこの一言で決壊してしまいました。
I君の喪主挨拶は自分の気持ちに誠実な、もちろん妻A子さんへの愛情いっぱいの
今までに聞いたことも無いような、参列者のひとり一人に語りかけるような挨拶でした。
感動しました。心が震えました。

ぼくとしては逐一状況を聞いていたから、内情の多くを知っていたつもりでした。
しかし、やはりと言いますか、知らない話もたくさん出てきました。
とは言え、本当に本当に居たたまれない。
語るも涙かもしれないけれど、聞くこちら側としてもまた、涙々です。
改めて、ああ、こんなにも辛い中で苦しんでいたんだなあ、頑張っていたんだなあ・・・
そう思うと、またしても止めどもなく涙が溢れました。

夫婦って何なのだろう・・・
親子って、家族って、人生って・・・


今日2015年4月5日(日)は、ぼくの中で「何かが始まった日」という気がします。
だから、それを書き残すために記事にしようと思い立ちました。
A子さんの安らかな眠りに、合掌。
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桜三月散歩道 [暮らし]

愛読ページは数あれど、やっぱり同世代のページは安心できます。
例えば cafelamamaさんのページには、思わずニヤリとしてしまうことも多い。
最新記事のタイトルなどその最たるもので、ぼくも同名のタイトルで記事を書きたくなった。

『桜三月散歩道』
殊更ぼくなんかが言う必要もないのですが、アルバム『氷の世界』の中の一曲ですね。
この曲、ぼくにはちょっと信じられないのですが、セリフ入りなんですよね。
初めて聴いた時、ぼくは陽水は狂ったのかと思った記憶があります。
あの陽水が、曲間でセリフを喋るのか?!

ところが・・・
歌詞検索をしたところ、歌詞には陽水のセリフ部分の記述がない。
(興味がある方は下記のリンクからどうぞ。因みに他の歌詞検索も内容は同じです)
http://www.kasi-time.com/item-12222.html

で、ちょっと脱線するんですが、この曲、作詞が陽水じゃないんですね。
ぼくは今の今まで、当然ながら陽水の作詞だと思ってました。
というのも陽水、特に作詞に関しては独特の強烈な拘りを持っているようで、
簡単に他人に任せたりしないのは周知の事実だと思ってましたからね。

『桜三月散歩道』
作詞:長谷 邦夫
作曲:井上 陽水
長谷邦夫さんに関するwiki:http://xtw.me/XFymZHo

驚きました。
長谷邦夫さん、出自が漫画家だったなんて。
それもCOMに『ねじ式』の向こうを張って、『バカ式』なんて作品を発表してたなんて!
その上、赤塚不二夫とセットで行動していたなんて!!
そう言えば、『長谷邦夫』というクレジット、どこかで見た記憶があるなあ、確かに。


今日は途中マックの休憩、公園ベンチでのひと休みを挟んで3時間ぐらい歩きました。
歩数:23,090歩(19.1km)、消費カロリー:975kcal、燃焼脂肪量:72グラム
日曜にしてはやや控えめな数字。文字通り、桜三月ぶらぶら散歩という感じです。
上はランニング用のメッシュのシャツ1枚。ウィンドブレーカーは腰に巻きました。
今日はラッキーにもPM2.5も少なく、ぽかぽか陽気。春爛漫ですね~。

IMGP0228.JPG
(近くの中央公園にて。2015年3月28日撮影)

当地では満開の桜もありますが、まだまだの桜もあります。
全体的に言えば、6分から7分咲きというところでしょうか。
次の水木あたりに降るらしい雨が、何とか弱いことを祈るばかりです。
桜はこんなにも可憐な姿なのに、本当に言葉にならないぐらい潔い。
この潔さは筆舌に尽くし難い気がします。
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早春賦 [昔話]

2月10日というのは本当に寒い。
29年前の2月10日、その日もとても寒かった記憶があります。
1986年の2月10日、ぼくのおふくろは55歳でその生涯を閉じました。
今にして思えばあまりに短い一生、さぞかし無念だったろうと思います。

おふくろは佐賀県は武雄市(たけおし)の人。
生家は紙問屋を営んでおり、裕福な家庭に育ったお嬢さまだったらしい。
戦前、おふくろの父親(ぼくの祖父)が商売用に買ったマツダのオート三輪には
運転免許も一緒に付いて来た、と誇らしげに話すおふくろの姿を今も憶えてる。

おふくろと言えば、思い出すのは鼻歌と甘いもの。
鼻歌って言ったら怒られるかなあ?
文部省唱歌・・・みたいな歌が多かった気がする。
今の季節で言えば・・・♪春は名のみの風の寒さや~


(ファイルが削除されていたようなので差し替えました。2016/11/27)

この歌、台所でよく歌ってたなあ。
コーラス部に入ってたと言うだけのことはあって、上手だった。
息子のぼくが言うと手前味噌もいいところだけど。
今日は命日なので、ちょいとご勘弁を m(_)m

甘いものと言えば、「おめさまし」。
この言葉、佐賀独特の言い回しかと思っていたら違いました。
佐賀出身の複数の人に聞いてみたけど、全員が「何それ?」。
どうやら、おふくろの独自開発、もしくはおふくろの家だけの儀式だった模様。

「おめさまし」とは、起き抜けに目を覚ますために食べる甘いもののこと。
饅頭や最中みたいなのが多かったような気がするけど、よく憶えてないなあ。
寝起きに甘いものを食べても、それで目は覚めないと思うけどなあ。
ま、おふくろがそう言うんなら、そういうことにしとくけどね。(笑)
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2015 正月も3日になりました [その他]

新しい年、2015年が明けました。
皆さま方、如何お過ごしでしょうか?
近年にない記録的な大雪に見舞われているmutuminちゃんの青森
そして、しろうさぎさんの京都
大変だと思いますが、試練の神さまに試されているんだと思います。
へこたれることなく、頑張りましょうねっ!!

IMGP0190.JPG
(とりあえず、あるものを手当たり次第に投げ入れてみました。song4u流生け花。)

正月と言えばおみくじ、今年は「中吉」でした。
何事も偏り無く程々が良い、という中庸の徳で行きなさいとの
思し召しなのでしょうかね?
ところが、読み進んでいく内に結論が示され、ドキッとしました。

「何事も運に任せ思い煩うな」

去年から続発する心配事の数々。
思い煩いすぎて動くに動けず、その結果、低調に終わったのは前記事で
書いたとおりです。うーむ、おみくじからまで指摘されるとは思わなかった。
新年早々、こりゃちょいとマイったなあ。


<蛇足1>
去年から、勝手に恒例化しようと企てている新年早々のウォーキング、
当然ながら2015年も挙行いたしました。
2015年の元旦は、この福岡でもみぞれ混じりの雪模様。
しかし、そんなことでヒルむsong4uクンではありませんよ。
却ってファイトが湧こうというものです!!

で、去年もやったのですが、今年もやりましたよ・・・
1月1日時点における、しめ飾りの設置状況チェック!
ウォーキングしながら、ご近所のしめ飾りがどの程度設置されているのか、
指折り数えてチェックしました。
昨年は我が団地の2丁目を中心に無作為50軒をチェックしたのですが、
今年は1丁目を中心にサンプル数も2倍の100軒に増量してみました。
結果発表~!!

■しめ飾り設置率:73% (※100軒中27軒は未設置)

昨年は23%が未設置でした。
今年は27%が未設置。ま、その差は誤差の範囲であると思われますね。
因みに、元日ということで、国旗も掲揚されていた模範的なお宅は1軒。
そして、車庫の門扉にもしめ飾りをされていた優等生のお宅が1軒でした。
また、玄関ドアが黒・濃いブラウン系のお宅に未設置が目立ちました。
黒系ドアは、一般的に洋風建築が多い傾向だからでしょうかねえ?
面白い傾向だなあと思いますね。

<蛇足2>
ところで、この年末、ちょっと面白いことをやってみました。
それは何かと申しますと・・・初詣ならぬ、年末詣であります!!
年末詣って何?
それはね、年末にこの一年の御礼詣をするということなのであります。
え? そんなの聞いたこと無い?
そりゃそうでしょうね、ぼくも聞いたことありません。(爆)

141230_141653.jpg
(福岡県福津市の宮地嶽神社。12月30日に年末詣を挙行)

宮地嶽(みやじだけ)神社と言えば、直径2.5メートル、長さ13.5メートル、
重さ5トンという日本一の巨大しめ縄で有名な神社でございます。
http://www.miyajidake.or.jp/keidai/nihonichi.html
福岡では『三社参り』と言いまして、正月は三社にお参りするのが習わしに
なっております。ですから、正月はどこの神社も大盛況。
だから三が日のお参りは至難の業であるので、年末に行ってみた・・・
決してそんなインチキを企てたワケではございませんので、念のため。(笑)

で、そこで見つけてしまいました、大変なものを!
これなんですけどね。↓
141230_142013.jpg

平成27年の後厄は昭和29年生まれ・・・?(赤線の囲み)
ん? ぼくは29年3月生まれですが、何か?
ひょっとして、平成26年は本厄だったってわけでしょうか??
ひょえー、そんなん知らんがな! はよ言わんかい!!
・・・ったく往生するなあ、もう。
道理で色々と・・・(以下、自主規制^^;)
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2014 今年の採点 [採点]

大晦日の夜になりました。
今日は強風の上に時々雷も鳴り響き、あられまで降っておりました。
明日以降も荒天に見舞われそうですねえ。

さて、2014年は反省点の多い年でした。
ここ5年ぐらいの中では、最も不甲斐ない年だったのではないか?
考えることばかりが多く、結果的に動きに乏しく、必然的に成果は極めて低調。
不本意にも程がある。実態は給料泥棒にも等しい情けない1年でした。

プライベートはそこそこ充実していたものの、まだ現役を続けるつもりならば、
まずはキッチリと仕事で結果を出さねば。
そのことをしっかりと肝に銘じて2014年を見送りたいと思います。
来年こそは倍返しするぞっ!!!

■2014年の採点:72点 ※前年比マイナス20点

ま、だけど、これだけ出来が悪かったのに、まだ72点もあるなんて。
まだまだ捨てたモンじゃないのかもしれないなァ。
来年は本当に勝負の年だと思って取り組みたいと思います。


140913_151953.jpg


■2014年の5大ニュース(覚え書き)

第5位:
ニセモノばかりの世相。
何とか河内さんだとか、「STAP細胞はあります!」クンだとか。
しかし、何とか河内さんもSTAP詐欺師クンも生粋のニセモノだったけど、
一番醜いニセモノは飛鳥だったと思う。
ちょっと言葉が見つからない。あまりにも酷い。怒り心頭。
チャゲが可哀想すぎる。

第4位:
加速する嫌韓・嫌中。
これについては、今さらぼくが言うべきことなど何も無いと思う。
日本にとって不幸なのは、近隣に中国と朝鮮があること(福沢諭吉『脱亜論』)。
・・・まさに。

第3位:
還暦記念の初マラソンを無事完走。
今年、数少なかった楽しい記憶のひとつ。
来年も走ろうかなあ、はるかぜマラソン。

第2位:
福岡SBホークス日本一!
2014年最大の嬉しいニュース!!
秋山ありがとう&お疲れさま♪

第1位:
朝日新聞との決別。
2014年を端的に言えば、これに尽きる気がする。
朝日新聞は、ぼくの一部分といっても過言ではなかった。
父が朝日新聞の関係者であったことから、幼い頃から朝日は身近だった。
明確な記憶にあるだけでも、朝日との付き合いは軽く50年以上。
しかし、例の記者会見を見て愕然としてしまった。
こんなヤツらが作っていた新聞だったのか・・・あまりにも酷い!
朝日と過ごして来た50年が、音を立てて瓦解した。
情けないというよりも、圧倒的に悲しかった。
自分の人格を自分で全否定しているような錯覚にも陥った。
それでも、朝日との決別を自らに納得させるのに2週間以上かかった。


楽しかったことよりも、辛いことのほうが多かった2014年も残り数時間です。
来年は絶対にいい年にしなくっちゃ男が廃る!
さらばじゃ、2014年!!
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祝 博多駅地下街 50周年! [暮らし]

■お詫び
 前記事にはたくさんのnice!やコメントをいただき、ありがとうございました。
 それに引き換えまったくフォローできておらず、心苦しいばかりです。
 誠に誠に申し訳ございません。m(_)m

***** ***** *****

141114_083214r.jpg
(昨日11月14日、朝のウォーキング中に撮影)

今日11月15日は、博多駅地下街が誕生して50年目なんだそうです。
きっと当初はこぢんまりとした地下街だったんだろうと思います。
それが地下鉄博多駅が出来、新装博多駅になってリニューアルした一番街と繋がり、
もちろん従来通りにデイトスとも連結し、博多阪急の地下とも繋がったりしている内に
福岡では天神地下街に次ぐ一大地下街となりました。

ぼくは毎朝、ウォーキングでお世話になっております。
朝、博多駅に到着するや否や、まずは地下鉄祇園駅までの地下連絡通路を往復。
その後、曜日によってはラジオを聞きたいが為に地上へ出たり、また地下へ降りたり。
天気が悪ければ地下へ、もしくは暑ければ地下へ。風が強ければ地下へ。
・・・と、そんな風に地下街の恩恵を享受しております。

昼食後も、当然、地下街ウォーキングです。
最近ではいつもすれ違う常連さんが数名おられ、目でご挨拶しております。
彼らは一筋縄ではいきません、相当に強烈な筋金入りです。
例えば足元に着目すれば、彼らは革靴ではなくウォーキングシューズなわけです。
ウォーキングシューズで出勤するわけではないだろうから、きっと昼食後に履き替えて
いるわけですね。革靴のぼくは、「勝てんなあ」と呟くしかありません。(笑)

地下街を「歩き」だけで使っては申し訳ない。
そんなことをふと思い、最近ではなるべく商業利用しようと試みております。
筆頭は、距離的にも近いので、何と言っても昼食利用ですね。
しかし、「駅価格」である点と、味・値段の割りには混んでるというマイナス要素。
これにはなかなか厳しいものがあり、イマイチ進展しておりません。
タマに利用してるのは、因幡うどんと吉牛ぐらいかなあ?

ところで、50周年ということは、1964年開業ということですね。
半世紀前、song4u少年は10歳の小5でしたが、1964年の一大イベントと言えば、
何と言っても東京オリンピック!!
しかし、他には何があったのでしょう?
wikiからの転載(一部抜粋)で当時を振り返ってみましょうか。

1月
・日本麦酒がサッポロビールに社名変更。
・森永製菓が日本初の高級チョコレート「ハイクラウン」を発売し、大ヒット商品となる。
・カルビーが「かっぱえびせん」を発売。

2月
・ロッテが「ガーナチョコレート」を発売。
・ビートルズが初訪米。
・日本国有鉄道が予約システムマルス101の利用を開始。

3月
・本田技研工業が「S600」を発売。
・早川電機(現 シャープ)が、日本初の電卓、世界初のオールトランジスタ・ダイオード
 の電卓(電子式卓上計算機)コンペットCS-10Aを発表。
 数十センチの大きさ(現在のレジ並の大きさ)で重量25kg。
 53万5000円(当時の大卒初任給2万円の時代で、自動車並みの価格)。

4月
・日本人の海外観光渡航自由化。ただし年1度、所持金500USドルまでの制限付き。
・IBM、汎用コンピューター「System/360」を発表。
・東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が開局。
・日本、OECDに正式加盟
・週刊誌「平凡パンチ」(平凡出版)が創刊。

6月
・三菱系3社の合併により三菱重工業発足。
 (昭和45年には、自動車部門が三菱自動車工業として分離独立)
・山形空港開港。

8月
・サンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則がメジャーに昇格。
 日本人初のメジャーリーガーとなる。
・フジテレビの長寿音楽番組『ミュージックフェア』放送開始。

9月
・東京モノレール開業(片道250円)。
・読売新聞が九州に進出、西部本社で発行開始。(世に言う「読売戦争」勃発)
・大阪市営地下鉄御堂筋線の新大阪駅 - 梅田駅間が開業。
 (1970年には北大阪急行電鉄との直通運転を開始)

10月
・東海道新幹線開業。
 (東京 - 新大阪間。運賃・料金は合算でひかり2,480円、こだま2,280円)
・日本武道館開館。
・やまなみハイウェイ(大分~熊本)開通。
・第18回夏季オリンピック・東京大会(東京オリンピック)開催、開会式。
・大関酒造(現大関株式会社)が「ワンカップ大関」を発売。
・ソ連のタス通信、フルシチョフがソ連閣僚会議議長及びソビエト連邦共産党
 第1書記を辞任したと報じる。コスイギンがソ連閣僚会議議長、ソビエト連邦
 共産党第1書記にはブレジネフがそれぞれ選出された。
・池田勇人首相、東京オリンピック閉会式の翌日に退陣を表明。

11月
・自由民主党第5代総裁に佐藤榮作が指名され、首班指名を経て佐藤政権発足。
・中埜酢店(ミツカン)が「味ぽん」を発売。

1964年の音楽
・7月、マイルス・デイヴィス初来日

1964年のヒット曲
・美空ひばり『柔』
・坂本九『明日があるさ』
・村田英雄『皆の衆』
・都はるみ『アンコ椿は恋の花』
・ペギー葉山『学生時代』
 (高校修学旅行で音程外して歌ったのをいまだに言われます。懐かしいなあ)
・江利チエミ『新妻に捧げる歌』
・青山和子『愛と死をみつめて』
・岸洋子『夜明けのうた』
 (これも修学旅行で歌ったのに、こっちは誰も言ってくれない。不思議だなあ)
・園まり『何も云わないで』
・水前寺清子『涙を抱いた渡り鳥』
・和田弘とマヒナスターズ、松尾和子『お座敷小唄』
・コロムビア・ローズ『智恵子抄』
・井沢八郎『あゝ上野駅』
・ザ・ピーナッツ『ウナ・セラ・ディ東京』
・西田佐知子『東京ブルース』
- この年は、タイトルに "東京" のつく楽曲が目立った。

1964年の映画
・モスラ対ゴジラ
 (観ましたねえ。懐かしいナ)
・宇宙大怪獣ドゴラ
 (・・・記憶にないなァ)
・三大怪獣 地球最大の決戦
 (もちろん観た。カッコ良かった!)
・日本一のホラ吹き男
 (大好きだなあ、植木等)

1964年の文学
・芥川賞
 第51回(1964年上半期) - 柴田翔『されどわれらが日々──』
 第52回(1964年下半期) - 該当作品なし
・直木賞
 第51回(1964年上半期) - 該当作品なし
 第52回(1964年下半期) - 永井路子『炎環』、安西篤子『張少子の話』

1964年の雑誌
・『平凡パンチ』創刊
・『ガロ』創刊

1964年の漫画
・『サイボーグ009』(石森章太郎)週刊少年キングで連載開始
・『オバケのQ太郎』(藤子不二雄)週刊少年サンデーで連載開始
・『カムイ伝』(白土三平)ガロで連載開始

1964年のテレビ
・大河ドラマ「赤穂浪士」(NHK、出演:長谷川一夫、滝沢修、尾上梅幸 (7代目) )
・連続テレビ小説「うず潮」(NHK)
・「ひょっこりひょうたん島」(NHK)
・「木島則夫モーニングショー」(NET)
・「忍者部隊月光」(フジテレビ)
・「ミュージックフェア」(フジテレビ。現在も放送中)

1964年のラジオ
・「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」(ニッポン放送)
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祝 福岡SBホークス日本一♪♪ [プロ野球]

最後の最後、西岡のスリーフィートラインオーバーは何とも微妙な判定。
これが最終回、ゲームセットのタイミングじゃなかったら、和田監督ももっと
食い下がっていたに違いない。

片や小躍りして喜んでいるホークスの横で、審判団に詰め寄る和田監督。
何だかすごく気の毒な印象を持ったのは、ぼくだけじゃないでしょう。
とは言え、判定は判定。断が下された以上、仕方ありません。

20141030-00000084-dal-000-3-view.jpg
(写真はデイリースポーツより転載)

T 000 000 000 0
H 000 000 01X 1
メッセンジャー 、呉昇桓 - 藤井
攝津 、森 、五十嵐 、サファテ - 細川

このシリーズは珍しく3戦、4戦と観戦することが出来てラッキーでした。
結果的には良く似たチームカラーでしたね、この両チーム。
どちらも守備力が素晴らしかったと思います。
特にタイガースのセンター(大和)。
彼の守備力のせいで何点取り損ねたか分かりません。

ああしかし、一昨日、昨日の観戦疲れが抜けません。
もうトシです。(笑)


秋山監督、お疲れさまでした!
ぼくはね、10月2日の最終戦で優勝を決めた後にヒーローインタビューで
あなたが言った、あのひとことが今でも忘れられません。

「おめでとうございます!」

最初、聞き間違えたかと思った。
優勝監督が、観客席に向かって「おめでとうございます!」と言ったのを
ぼくは初めて聞きました。
思えば、既にあの時には勇退を決めていたのでしょうね。
だから客観的なスタンスでモノが言えたのでしょう。

勇退する最後の試合が、ホームで日本一を決める試合だなんて、
あなたは本当にラッキーな人だ。
王さんなんか、最後の試合はビジター(仙台)で延長戦のサヨナラ負け。
そのシーズンは結局、最下位でしたからね。

10.2であなたにもらった「おめでとう!」を、今、ファンのみんなから、
あなたにお返しします。
秋山監督、本当におめでとうございます!!
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2014 どうにかこうにかCS突破 [プロ野球]

おめでとう、秋山!
ありがとう、日本ハムファイターズ!!

言いたいことは色々あるが、今日、それを言うのはやめよう。
今シーズンの総括は、いずれゆっくりやりたいと思う。
そうでなくても、今年は言いたいことが山ほどある。

中4日の大隣の力投には、驚きを通り越して頭が下がる思いだった。
思い起こせば10月2日、レギュラーシーズン最終戦もキミだったよなあ。
病み上がりのキミに、ここ一番の大切な戦いを任せなきゃいけない今の投手陣、
何なんだろうなあ、実に情けないよ。

ファイターズはビジターで転戦に次ぐ転戦。
京セラドームから、休む間もなくヤフードームへ。
それでいてバファローズに2勝1敗、ホークスには結局3勝3敗という戦績。
つまり、2位や1位のチームに対して負け越していないのだ。
敵ながら天晴れ、栗山は実にいいチームを作ったものだ。

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(10月15日、CS2ndステージ初日の朝8時過ぎ、博多駅前ANA系ホテル前で撮影)

F 000 000 001 1
H 002 100 01x 4

大隣(勝)、五十嵐、サファテ-細川
上沢(負)、鍵谷、谷元、白村-市川、大野
本塁打:細川

CSのMVP、吉村だって?
冗談だろー!!
選定委員の目は節穴か?!

稲葉選手、金子誠選手、誠にお疲れさまでした。
キミたちを胴上げした我がホークスの選手諸君、実にいいヤツ揃いだろ?
だけどそれが災いしてか、本当に勝負弱い。
お人好しで勝負弱いが、人間的な魅力には溢れる。
勝負師としては、それじゃあいけないと思うんだけどね。

阪神タイガースは強いから、勝ち負けよりも誇りを持って試合に臨んで欲しい。
じゃなきゃあ、ファイターズやバファローズに申し訳が立たんぞ!!
ああ、何だか完全に酔いが回って来た。
これから特番が目白押しなのに。(爆)
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2014 終戦記念日 [その他]

8月15日、終戦記念日。
もう69回目にもなるんだそうですね。
普段はチャランポランな私ですが、今日だけは、少なくともこの日だけは背筋をピンとして、
しばし昭和20年のこの日を心に刻みつつ、静かに迎えたい気持ちになります。

8月15日と言えば、我が街ではお盆の最終日。
ご先祖さまの帰路を照らす送り火を焚く日です。
今さらながら、そんな日が終戦の日だったんだなあ・・・そんな思いです。
蝉が狂ったように鳴き、灼熱の陽射しが照りつける盛夏。
そんな中の無念の終戦だったのですね。

140713_154223.jpg
(2014年7月13日(日) ひまわり畑は去年の3倍! ジョギング中に足休めに撮影)

土日にジョギングしてて思うのは、去年よりも今年はひまわり畑が多いということと
飛んでいるトンボの数が妙に多いということです。
もう1ヶ月も前になるとは恐ろしい、上の写真はジョギングコース上のひまわり畑です。
どういうわけか今年はひまわり畑が多く、去年の3倍以上の作付けのように思います。
稲作を連作すると問題があるとかで、ひまわりを植えるのでしょうか?
ご存知の方、是非ともご教示を!


さて、今日は朝から不愉快でした。それは何故か?
朝一番から、「敗戦記念日」という極めて不謹慎な言葉を耳にしたからです。
終戦記念日を、どうして殊更のように「敗戦記念日」などと言いたいのでしょうか?
生への願いも空しく、命を捧げてくれた英霊たちがこれを聞いたらどう感じるでしょう?
私には到底理解ができません。
こんな言われ方、とても許すことができない。悔しくてなりません。

「敗戦記念日」という言い方をする人たちには、共通点があるように思います。
自分は何でも知っている(知識階級)という滑稽なほどの思い上がりからなのか、
その言葉は往々にして「上から目線」で発せられます。
彼らが何を知っているのか、その上から目線の根拠は一体何なのか?
とは言え疑問に思うだけで、彼らの弁解を聞きたいわけではありませんが。

夕方になると、今度は相も変わらず閣僚・議員たちの靖国参拝のニュース。
そして、それらに対する北京のリアクション云々・・・
もう本当にいい加減にして欲しい。
自分たちの祖国を守るために戦って命を落とした英霊にお参りすることが
どうしてニュースになる(ニュースにする)のか?
お前ら、一体どこの国の人間なんだ?!


あ、いけませんね。
神聖なる英霊たちへの感謝の日である終戦記念日に、こんな低俗なことを書いては。
礼を知らない奴らと同じ土俵に上ってどうするつもりだ?!(笑)

両親のため、兄弟のため、そしてそんな愛する人たちが住む祖国のために、
たったひとつしかない命を捧げてくれた英霊たちに、心静かに合掌。
どうぞ安らかにお眠り下さい。
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還暦記念 10kmマラソン [暮らし]

この年度末は、どうしたことか未曾有の忙しさであります。
ぼくが所属する会社の取引先は主に自治体、及びそれに類する団体でありまして、
一般的に言うところの消費増税の影響は極めて軽微です。
なのにどうしたんでしょうかねえ、一体全体。

そう言えば、多くの荷物が遅滞気味という話です。
理由は何かと言うと、通販の駆け込み需要なんだそうですね。
それほどまでに通販の占める割合が大きくなったと言うことなんでしょうけれど、
そのために一般の着荷に影響が出るようじゃ困るなあ。
・・・なんてね、通販の駆け込み購入をしたヤツが言えた義理じゃありませんが。(恥)

さて、私事で恐縮ですが、半月前に還暦を迎えました。
ひとつには、これが年度末の忙しさに拍車を掛けております。
ま、有り難いことですから、文句を言っちゃバチが当たるのですが。
で、そんな忙しい最中、遊ぶことだけはしっかりやっておりまして。^^ゞ

3連休最終日の先週の日曜日、3月23日。
還暦の記念に、無謀にも10kmのマラソン大会というものに出てみました。
ここのところ、お天気さえ良ければ週末にはコンスタントに15kmぐらいは走っていたし、
心のどこかでボチボチひとりで走るのに飽きて来たこともあったと思います。
とりあえず、10kmぐらいなら何とかなるかな?と。(言うだけならタダだし^^;)

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(海の中道海浜公園 西口の案内表示~帰りに撮影・・・^^;)

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(スタート前のランナー諸氏 絶好の天候・・・と言うよりも暑かったデス)


生まれて初めてのマラソン大会は・・・とても楽しかったです!!
自分と同じ目標に向かっている、ライバルではあるけれど同志でもあるランナーたちと
時間と場所を共有するのは、驚くほど居心地の良いものでした。
スタート前から妙に嬉しいような気持ちで、何だか不思議な感覚だった気がします。
ま、初めてだったせいかもしれませんけどね。

公式記録はグロスタイムだけで、ネットタイムの提示はありませんでした。
事前にRSチップを渡されていたので当然ネットタイムの提示もあるものと思い込み、
油断して後方からスタートしてしまったので、1分近くもロスしてしまいました。残念!!
というわけで、ネットタイムは正確無比GPSウォッチ君の自動取得データを掲載します。
練習の時には56~57分台でしたが、何と!52分台が出ました!!
はっきり言って、これ以下は自画自賛以外の何物でありません。(爆)

Lap_2014-03-23(2).jpg

ぼくの実力は5分30秒/km前後がせいぜいなので、前半は明らかにオーバーペース。
「ヤバイなあ、速過ぎるよ・・・困ったなあ、どうしよう」
時計を覗き見しながらそう思って走っていたのですが、足が勝手に動いてました。
練習の時などひとりで走っていると、こんなペースでは絶対にバテると思うのですが、
顔も名前も知らないとは言え、これが同志のランナーたちと一緒に走っているという
心理的な効果(安心感&頑張る気持ちの持続)なのでしょうか、最後までバテバテに
なったような実感はほとんどなく、本当に気持ち良く走れました。
逆にゴール後も、まだまだ十分に走れるエネルギーが残っているような感じでした。

完走証2014-03-23.jpg

嗚呼、しかし、すっかり人間性が変わってしまいましたよ。
仕事でもないのに、無論、頼まれもしないのに、こんなに嬉々として走るなんてね。
還暦を機に、新しい自分を発見して行きたいと思います。
・・・マジかよ?(笑)
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おふくろの玉子焼き [昔話]

今年もまた2月10日がやって来ました。
ぼくにとって大切なおふくろの命日、もう28回目(29回忌)になりました。
今日はしばしおふくろを思い出して、何か書こうと思います。

28年前、1986年(昭和61年)の2月10日―
その日は未明から降り続いたみぞれ混じりの雪が、道路一面を覆い尽くしていました。
身も心も凍えるほど寒かった・・・そんな心像風景が今も焼き付いています。

28年も前のことです、86年の2月と言われてもピンと来る方はおられないでしょう。
その頃の出来事の中で最もセンセーショナルで記憶に残っているもの・・・
それはこの2週間前に起きた、スペースシャトルチャレンジャー号の空中爆発事故。
(後に空中「爆発」ではなく、空中「分解」だと判明しました)
この事故については決して忘れられないエピソードがあり、それゆえチャレンジャー号の
この壮絶な事故だけは、一生忘れることはないと思います。

IMGP0093.JPG
(今日はおふくろが大好きだった和菓子のお供えがあがっていました)


小城羊羹の本場で育ったからか、おふくろはとにかく甘いものが大好きでした。
だから砂糖の使用量も必然的に多かったのかなあ?
昔、スーパーの売り出しとかで、必ず並ばされて買わされたのが砂糖でした。
最近じゃほとんどその存在を見掛けないけど、砂糖は一体どこへ行ったのでしょう?(笑)

ところで皆さんのご家庭では、玉子焼きは何味でしょうか?
砂糖味ですか? それとも塩味?
中学、高校とおふくろが作ってくれた弁当に入っていたのは、砂糖味でした。
さすがに高校の中盤からは砂糖味は嫌になり、目玉焼きに変更してもらいましたけど。

ぼくにとって玉子焼きと言えば、おふくろが作ってくれる玉子焼きでした。
社会人になるまで、それは疑うべくもなく、イコール砂糖味というのが言わば「常識」でした。
だから言っちゃナンだけど、玉子焼きは嫌いじゃなかったけど、あまり好きでもなかった。
ところが、カミさんが作って来た玉子焼きは青ネギ入りの塩味で、これがまた旨かった!
おお、世の中にこんな玉子焼きが存在するのか?!(←大げさ)

ある意味、これはカルチャーショックのひとつだった気がします。
これを機に、玉子焼きに対するイメージがガラッと変わったといっても過言ではない・・・
決して誇張ではなく、率直にそう感じました。
それまでやや敬遠気味だった玉子焼きが、グッと魅力的に変わったように思いました。
だけど、そういうぼくの態度を、おふくろは快く思っていない感じでした。
おふくろは甘い玉子焼きが好きだったのだから、それは当然かもしれませんけどね。

おふくろの甘~い玉子焼き、久しぶりに食べてみたい気がするなあ。
作ってくれよ、おふくろ!^^ゞ
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